泉球会 平29年度決算報告 | ||||||
平成29年度収支計算書(H29年7月3日~H30年6月24日) | ||||||
(収入の部) | (単位 円) | (単位 円) | ||||
費目 | 予算 | 決算 | 前年度決算比 | 備考 | ||
会費 | 360,000 | 299,000 | 47,000 | 一般44人 学生9人 | ||
預金利息 | 100 | 4 | -2 | |||
雑収入 | 0 | 21,569 | 16,087 | 寄付残16,569、総会費戻入5,000 | ||
前期繰越金 | 446,550 | 446,550 | 0 | |||
合計 | 806,650 | 767,123 | 63,085 | |||
(支出の部) | (単位 円) | (単位 円) | ||||
費目 | 予算 | 決算 | 前年度決算比 | 備考 | ||
後援費 | 200,000 | 150,000 | 0 | |||
親睦活動費 | 30,000 | 30,000 | 0 | 親睦ゴルフ大会<3回開催> | ||
機関紙費 | 0 | 0 | 0 | |||
事務費 | 70,000 | 74,939 | 6,891 | 通信費<総会、新年会>等 | ||
会議費 | 30,000 | 5,000 | 0 | 総会 役員会等 | ||
雑費 | 20,000 | 10,000 | -20,800 | 卒部式, | ||
備品費 | 0 | 0 | 0 | |||
予備費(繰越) | 456,650 | 497,184 | 50,634 | |||
合計 | 806,650 | 767,123 | 36,725 | |||
※会計予算期間については、総会翌日から次回総会日の間とする。 | ||||||
次期繰越金 497,184円 | ||||||
上記の通り報告いたします。 | ||||||
会 計 清水 哲也 間吾 泰芳 | ||||||
決算内容は妥当で正当なものと認めます。 平成30年6月24日 | ||||||
会計監査 薮内 邦男 伊藤 恵造 |
春夏連続甲子園大会に出場想い出 浅野 勝(7期主将)
昭和28年秋、新チームが13名でスタート。ピッチングマシンも無く練習施設設備が貧弱ななか、監督からは、打撃練習では「バットの芯で捉えて、鋭く振り切れ。」守備練習では「ノックのボールに対して、いつでも機敏に動けるよう待ち構え、ボールから目を離すな。」と、よく言われた。練習の仕上げは、本格投手のスピードボール、変化球による打撃練習、走塁を交えた守備連携プレー。正確に左右に転がすバント練習、最後は塁間を全力疾走で何回もベースランニングで、一日の練習メニューを終えた。秋季大会が始まり、決勝戦まで勝ち進んだ。ずば抜けて強い浪商高校との対戦だ。監督は選手に「実力の差は変わらない。如何に頭脳的なプレーが出来るかが課題である。」と、助言を与え続け、練習を繰り返していくうちに求められるプレーと自信が選手に芽生え、浪商高校を破り大阪大会で優勝することが出来た。大阪代表として近畿大会に出場し、その大会でも優勝を勝ち取った。新チームが結成以来16勝0敗の成績を残した。傑出した選手がいなくても、徹底した指導を受ければ短期間で強力なチームに育つことが出来ると実感した。
高校野球連盟から学校長宛に「来春の全国選抜大会の出場が決まった。」という朗報が遂に届いた。選手の喜びは当然、練習ぶりを一目見たいと人が集まり、近隣の人々の関心や声援が日に日に高まった。このような声援が、練習の疲れを吹っ飛ばし、一層の励みとなった。
甲子園初出場で『ベスト4』。
新チームがスタートして初めて負けた。選抜大会準決勝小倉高校戦でした。
大会が終わって、チームは打撃がスランプ気味で調子が上がって来ない中でも、他県招待試合では、一試合3~5本程度の安打でも負けることがなかった。
不思議な雰囲気を持ったチームとなっていた。
高校野球最後の大会となる夏の選手権大阪大会は参加チーム97校で、新聞の下馬評では「浪商高校を脅かす泉陽高校。」と記事が書かれていた。大会は、一回戦は不戦勝。二回戦は工大附属2-0、三回戦桃山高校2-0、四回戦岸和田高校6-3。準々決勝淀川工業を10-4、準決勝八尾高校に延長11回の末4-3で勝利。決勝は興国商業に3-0で勝ち優勝。念願の甲子園出場権を全員で勝ち取った。
全国高校野球選手権大会は、23チームが出場した。抽選の結果、一回戦は岐阜高校(三岐代表)で8-0、二回戦は千葉商業(南関東代表)3-0で勝利した。準々決勝静岡商業(静岡代表)戦は雨天の為二日間順延した。待ち焦がれた高校野球ファンが甲子園球場に押しかけ、スタンドは5万人を越え超満員に膨れ上がった。試合は5回に先制され、相手投手の変化球を打ちあぐみ苦戦を強いられた。終盤8回に粘りをみせチャンスを作り1点差に迫るもスクイズ失敗。1-2で惜しくも敗退。『ベスト8』で甲子園を去ることとなった。
クラブ活動として選んだ硬式野球部では、「憧れの甲子園に、春・夏ともに出場し、生涯の想い出として最高の幸運を得た。」と思っている。今は亡き優れた指導者、野球部長、監督に教わった野球の知識・技術は無論のこと、人間形成の教育であった。今も感謝の念を持っている。
また、甲子園出場を機に、生徒たちの間でも、特に同級生と先輩の皆さんで応援団を結成し、リーダーの指導で統制の取れた見事な応援をして頂いた風景をグラウンドから見ることができた。選手たちは勇気づけられ、気分的にプレーに余裕と力をもらえた。試合終了後、「応援団がスタンドの清掃を済ませて帰る行動が大会で評価されたことで、泉陽高校の名を高めるとともに、強い絆が出来上がった。」と、聞いている。
硬式野球部の甲子園への出場があって、今でも同期生の結束も自然と出来上がっているようで、いつの集いでも大勢の皆さんの参加があり、話題として時には「甲子園の昔話」で花咲かせている。
例年開催されている三国ヶ丘高校定期戦<平成29年11月23日(勤労感謝の日)開催>が、生憎の昨夜来の雨で中止となりました。
中止のこの機会を利用して、参加予定であった31期の首藤さんに、学校野球部関係者からの依頼もあって、最新の投手ルール等について現役部員投手陣に研修をお願いしました。
投手牽制・投球フォームのルール、ストライクゾーン、球場ルールなど、実技を交えながら事細かな指導を受けました。研修会の終わりに、首藤さんから部員に、「他の高校野球試合、他の選手のプレーを見て野球を学び、取り組んでほしい。さらに自分たちのチームの形や高校野球に対する姿勢をつくることが大事」など約2時間の中身の濃い研修内容を、部員たちは真剣に聞き入っていました。
部員の皆さんは、研修内容について日頃の練習、練習試合を通じて出来ることから組み入れて、技術を共有、向上させて、個人個人の部活動を有意義かつ充実させるとともに、甲子園を目指して鍛錬をして欲しいところであります。
首藤さんは、現在支援学校に勤務する傍ら大阪府高校野球連盟の審判部に所属し、日々高校野球に携わり繁栄に尽力されています。
64期主将の藤原啓伍です。高校を卒業して6年もの時間が過ぎた今でも、グラウンドで野球をしていたあの頃にもう1度戻りたいと思います。3年間で特に印象に残っているのが、3年生の時の春の大会です。2015年には大阪桐蔭を倒して甲子園に出場した大阪偕星学園高校(当時は此花学院高校)に1対0で勝利し、ベスト16まで勝ち進んだことです。試合後に朝日新聞の記者の方に取材して頂き、記事を書いて頂きました。それを見て知ったのですが、あの大会の全試合で1対0のスコアは僕たちの1試合のみでした。
※写真は、高校野球ドットコムに掲載されていたものを複写。
春大会ではロースコアの試合は少なく、ましてや公立高校が私立高校相手に1対0で勝つことは珍しいそうです。この貴重な1点を幾度のピンチから守りきれたのは、日頃の苦しい練習を乗り越えてきたからだと思います。同期と集まった時には、とてもここでは書ききれないたくさんの思い出話で盛り上がります。これからも泉陽高校野球部の活躍を期待しています。
藤原さんの現役時代は、物静かでしたが常に部員の先頭に立ち、相手に立ち向かう姿勢を背中に闘争心をみなぎらせ鼓舞するキャプテンシーを発揮されていた印象が強かったです。今春から社会人として、この経験も生かされ活躍されることを念じます。