あれから60年

現役は67~69期生になります。今年で甲子園出場(1954年)から60年経ちました。その当時を知る人が、だんだん少なくなってきています。新年会の通知の返信の中に、白崎靖二(7期)さんのご家族からご本人が亡くなられたとのお知らせをいただきました。昨日の総会で、当時を知る主将でもあった浅野(7期)から、白崎さんをも偲んで甲子園出場当時のお話をしていただきました。チームは機動力があったものの、ここで一発という力が無く勝てなかった。浪商など強豪を相手になかなか勝てなかったが、2年の時に和歌山の高校から転校してきた白崎さんが入部すると、打線に厚みが出来て強豪校とも対等に勝負できるようなチームとなった。俊足を活かした機動力を持った投打のバランスがとれたチームは、瞬く間に秋の近畿大会をも制し、春の選抜大会に出場。さらには夏の大阪大会を勝ち抜き夏の甲子園にも出場し、春はベスト4、夏はベスト8進出。

浅野さんは2年前まで泉球会の会長をされ、甲子園出場当時など創部間もない頃からの泉陽野球部の華麗なる栄華を実感されている数少ないOBです。会長を退かれてから体調も回復されており、これからも、お元気で語り継いでいただけたらと、願うものであります。

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    strona www (金曜日, 03 11月 2017 20:48)

    bezefektywnie